人類史は長いのか短いのか ― 138億年の中の200年

はじめに

宇宙の距離と時間を整理しているうちに、数値としては理解できても、感覚としてはほとんど理解できないことに気づいた。
では、その「感覚の破綻」を、人類の歴史に当てはめるとどうなるのだろうか。

私たちは、自分が生きている時代を「激動の時代」と感じがちだ。
しかし、それは本当に特別な時代なのか。それとも、長い時間の中では、ごく一瞬の揺らぎにすぎないのだろうか。


時間のスケール

1秒、1分、1時間、1日、1年。
ここまでは感覚的に理解できる。

1000年、1万年になると怪しくなり、
100万年、1000万年を超えると、もはや実感は失われる。

宇宙は約138億年前に始まり、地球は約46億年前に生まれた。
生命が誕生し、進化を重ね、生物が大量絶滅を繰り返しながら現在に至る。
その時間の大半は、私たちにとってほとんど「空白」に見える。


表3 ザックリ地球人類史

  • 138億年前 宇宙の始まり
  • 46億年前 地球誕生
  • 40億年前 生命誕生
  • 20億年前 真核生物
  • 10億年前 多細胞生物
  • 3億年前 恐竜の時代
  • 1億年前 哺乳類の台頭
  • 700万年前 類人猿
  • 20万年前 現生人類(ヒト)
  • 1万年前 農業の開始
  • 6000年前 古代文明
  • 3000年前 ギリシャ文明
  • 0年   ローマ帝国・キリスト教
  • 1500年 ルネサンス・宗教改革
  • 1700年 市民革命・産業革命
  • 1900年 原子力・遺伝子・コンピュータ
  • 2000年 インターネット・AI

こうして並べると、年表の前半は極端にスカスカで、後半だけが急に密になる。
しかし、それは時間そのものが加速したわけではない。
記録と認識が密になっただけである。


人類史の「密度」

ヒトが誕生したのは約20万年前。
農業が始まったのは約1万年前。
古代文明は約6000年前にようやく姿を現す。

それ以前にも人類は存在し、同じ長さの1日と1年が確実に流れていた。
にもかかわらず、私たちが「歴史」として把握できる部分は、ごくわずかだ。

この事実だけでも、人類史の「密度」というものが、いかに主観的かがわかる。


近代200年の特異性

近代以降、とりわけここ200年ほどは、
エネルギー革命、産業革命、科学技術の発達、金融の拡大によって、人類史の密度が急激に高まった。

この時代、ヨーロッパ、白人、キリスト教、そしてプロテスタンティズムを基盤とした資本主義が、世界において優位を占めた。
その構造を鋭く言語化したのが、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。

この分析が手前味噌である点を差し引いても、
宗教と経済を結びつけた視点は慧眼だったと言わざるをえない。


優位は永続するのか

しかし、人類史の時間幅で考えれば、この優位は永続的なものではない。

ヒトの歴史は20万年、
文明史は6000年、
近代はわずか200年にすぎない。

1000年後、19世紀から20世紀は「プロテスタンティズムと資本主義の時代だった」と、一行で片づけられている可能性もある。
10万年後には、ヒトそのものが別の存在に置き換わっている可能性すら否定できない。

今の米中の覇権争いも、
そのような長い時間の中では、一時的な揺れとして見えるかもしれない。


激変は本当に「別格」なのか

私たちは今を生きている当事者である以上、この時代を特別視してしまう。
だが、138億年、46億年、20万年という時間の中で、
ここ10年、20年、200年の変化を過大評価している可能性もある。

ルネサンス、宗教改革、産業革命、市民革命。
これらも当時の人々にとっては「史上最大の変革」だったはずだ。

現在の情報通信革命も、
後世から見れば、そうした変動の一つに過ぎないのかもしれない。


結び

人類史は長いのか、短いのか。
その答えは、どの時間スケールで見るかによって変わる。

私には、ここ200年の劇的変化は、
史上最大の断絶というより、
「情報通信革命」という一つの歴史的変動に見える。

だが、それをどう評価するかは、私たちではなく、後世が決めることだ。

次は、この変化を私たちがどのように「感じ」、
それを事実だと信じているのか。
認識と事実の関係について、もう少し考えてみたい。

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