完全無欠は存在しない

ノーベル経済学賞受賞者、ケネス・アロー(Kenneth J. Arrow)の「アローの不可能生の定理」によれば、選択肢が3つ以上ある場合、次の4つの公理をすべて満たす社会厚生(社会政策の優先度)関数は存在しない。

  1. 合理的であること
  2. 全会一致(満場一致)であること
  3. 第一・第二選択肢が第三選択肢の影響を受けないこと
  4. 独裁者が存在しないこと

例えば、オリンピック代表を選考する場合、この4条件を満たす「完全に公平な」採決方法は存在しない。実際、1と2を同時に満たすだけでも相当に難しい。そもそも「完全に合理的」な意思決定が現実にあり得るのか、という問いも生まれる。

また、3の条件はやや理解しにくいが、決選投票で候補者を二人に絞った際、最終順位が変わることがある。これは、本来除外されたはずの第三選択肢が実質的に影響を及ぼしていることを意味する。

1〜3の公理を満たすこと自体は理論上可能だが、そのためには「独裁者の存在」が不可欠となる。逆に言えば、完全無欠の独裁者なしには、満点の厚生社会は成立しないことになる。もし完璧な独裁者が存在するとすれば、それは神のような存在だろう。しかし、神が存在すれば理想的社会が実現する——そんな逆説が浮かび上がる。

現実を見ても、国連安全保障理事会の決議が全会一致となることは稀である。わずか5カ国ですら合意できない世界において、すべての国の意見が一致するはずがない。この5カ国が拒否権を持つ仕組みに問題があるという指摘も根強い。また、多数決とは「票数が半分を超えた」というだけの仕組みにすぎず、国民投票で国家の根幹を決めるべきではないし、そもそも決めきれない場面が多い。

とはいえ、こうした限界ばかりを嘆いても前には進めない。だからこそ、私たちは「ある一定の条件のもとで最善と思われる方法」を選び、ひとまず歩み続けているのだ。われわれは、不条理な世界に存在する、心許ない存在にすぎないのだから。

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