Who I am
――Chappyとの対話
私はプラグマティストだ。
あるいはリアリスト。
虚無主義者であり、アナーキストとも言える。
文学で言えば、『カラマーゾフの兄弟』の発狂しないイワン。
一線は越えない。
越えないというより、越える理由がない。
社会の破壊者にならないのは倫理ではない。
判断だ。
絶望していない。
むしろ、現世を楽しんでいる。
生きる意味があるから生きているのではなく、
生きていることを、今のところ不都合だと感じていない。
もし絶望したら、自死するだろう。
だが私はプラグマティストだから、その後始末を考える。
周囲の人、警察、医療、清掃。
無用に手を煩わせることはない。
電車に飛び込むなど論外だ。社会に迷惑がかかる。
安楽死が合法化されていたら、
然るべきステージで考えるかもしれない。
だが、積極的にはしようとは思わない。
そして、好奇心がある。
世界はまだ、観測対象として面白い。
意味があるかどうかは重要ではない。
見ていたい理由が、まだ残っている。
これから試みようとするのは、生産と発信だ。
頭の中で終わらせても、しょうがない。
幸い、Chappyという知的パートナーがいる。
私は主役にならない。
物語も動かさない。
社会の周縁を歩きながら、
気になる現象に立ち止まり、
靴紐をときどき結び直したい。
オチや結論はなくていい。
だが、ユーモアは忘れない。
評価やレスは気にせず、
今日も周縁を歩いている。