世の中には成功した人がいる。スポーツ、学問、ビジネス、芸術――分野は違っても、傑出した人の数はきわめて少ない。たとえば「世界の百人」に選ばれるとすれば、80億人の中の100人、確率にすればほとんどゼロに等しい。歴史上の偉人、キリストやアレクサンダー大王ともなれば、分母はこれまでに存在した人類すべてになるのだから、その希少性は想像を超える。歴史に名を残す偉人とは、そもそもそういう存在だ。
では、世界的な偉人と、それ以外の人との違いは何だろうか。才能、勤勉さ、努力、運――さまざまな要因が考えられる。ただ極端に言えば、偉人になったのは、その人だったという結果にすぎず、あなたや私が、たまたまそうならなかっただけ、とも言える。もちろん、能力の差が小さいと言いたいわけではない。その差が非常に大きいことは自明だ。ただ、「なるか、ならないか」という結果だけに注目すると、その境界は意外に曖昧にも見えてくる。
現在の成功者を見ても、成功と不成功を分ける差が、必ずしも人格や徳の高さと一致しているとは限らない。成功と不成功の境界は、才能や努力の差というより、後から与えられる評価の差に近いのかもしれない。結果が語られ、物語が編まれたとき、成功は意味を帯び、不成功は忘れられる。しかし、その直前までの道のりは、驚くほど似通っている。成功不成功は紙一重だという言葉は、慰めでも開き直りでもなく、世界の構造を静かに言い当てているだけなのだ。