4巨人との対話 ② マルティン・ハイデガーと私―引き受けすぎないという距離

マルティン・ハイデガーとの近さ、そして決定的な違い。
ハイデガーは、死を前提として存在することを自覚する。
この一点では、私はハイデガーにかなり近い。

  • 人間は「死へと存在するもの(Sein zum Tode)」
  • 死は出来事ではなく、構造
  • それを引き受けることで「本来的」になる

ここまでは、かなり私の感覚に重なる。

ただし――
ハイデガーは虚無主義でも、アナーキストでもない。
むしろ真逆に近い。

ハイデガーは、
「世界の意味は壊れた」とは言わない。
むしろ、「忘却された存在の意味を回復せよ」と言う。

彼は、
秩序を疑うが、
無秩序を肯定しない。
「投げ込まれた世界」を、

  • 逃げず、
  • 破壊せず、
  • 住み直そうとする。

これは私の
「一線は越えない。越える理由がない」
という態度と、確かに響き合う部分もある。

が、同時に、
ハイデガーは存在を引き受けすぎる。
私ほど軽くはない。

ハイデガーは存在を引き受けた。
私は、存在から一歩引いたまま生きている。

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