マルティン・ハイデガーとの近さ、そして決定的な違い。
ハイデガーは、死を前提として存在することを自覚する。
この一点では、私はハイデガーにかなり近い。
- 人間は「死へと存在するもの(Sein zum Tode)」
- 死は出来事ではなく、構造
- それを引き受けることで「本来的」になる
ここまでは、かなり私の感覚に重なる。
ただし――
ハイデガーは虚無主義でも、アナーキストでもない。
むしろ真逆に近い。
ハイデガーは、
「世界の意味は壊れた」とは言わない。
むしろ、「忘却された存在の意味を回復せよ」と言う。
彼は、
秩序を疑うが、
無秩序を肯定しない。
「投げ込まれた世界」を、
- 逃げず、
- 破壊せず、
- 住み直そうとする。
これは私の
「一線は越えない。越える理由がない」
という態度と、確かに響き合う部分もある。
が、同時に、
ハイデガーは存在を引き受けすぎる。
私ほど軽くはない。
ハイデガーは存在を引き受けた。
私は、存在から一歩引いたまま生きている。