三島の死に触発された、私の死

三島由紀夫の死について考えているうちに、自分自身の死について考えるようになった。

ただし、三島の死と私が考える死は、まったく別のものである。当然だが。

彼の死について考えたことが、私自身の死生観をあらためて言葉にするきっかけになった、というだけである。

私は、老いることそのものを拒んでいるわけではない。

すでに若い頃の自分とは違う。身体も衰えている。それを人に見せるのが嫌だと思うことも、自分自身で見るのが嫌だと思うこともある。

しかし、だから死にたいということではない。

私にとって重要なのは、自分の日常生活を、自分で営むことができるかどうかである。

食事をする。着替える。風呂に入る。排泄する。歩く。買い物をする。金銭を管理する。人と連絡を取る。自分で行きたいところへ行く。

特別なことではない。

今、毎日当たり前にしていることだ。

こうした日常生活に恒常的な介助が必要になり、自分の生活を自分で営むことができなくなったとき、私はそこを自分の人生の一つの大きな境界と考えている。

そして、私の場合、その物差しとしてとても分かりやすいものがある。

旅である。

私にとって旅は、特別なイベントではない。

行き先を考え、飛行機やホテルを予約し、荷物をまとめ、自分で空港へ行く。知らない街に着けば、自分で移動し、食べるものを決め、宿で暮らす。予定どおりにいかなければ、その場で考えて修正する。

疲れたら休む。

行きたくなければ行かない。

気になる場所があれば、予定を変えて行ってみる。

街を歩きながら考え、ホテルへ戻って文章を書く。

それも含めて、私の日常なのである。

だから、旅ができるかどうかは、私にとって単なる体力の問題ではない。

自分の判断と自分の身体で、自分の生活を組み立てることができているか。

それを測る、一つの具体的な物差しになる。

旅ができなくなった瞬間に人生が終わる、という単純な話ではない。

けれど、自分で行き先を決め、自分で移動し、自分で暮らすという自由まで失われたとき、それは私にとって、単に「旅行ができなくなった」という以上の意味を持つ。

私は、できるだけ長く生きたいとは思っていない。

同時に、早く死にたいとも思っていない。

何歳まで、という数字そのものにも、それほど意味はない。仮に75歳という年齢を考えることがあっても、それは目安にすぎない。

私が望んでいるのは、自分が自分の生活を営める間は、生きること。

そして、自分で自分の日常を営むことができなくなったとき、その先をどう生きるのかについては、これからも考え続けることになるだろう。

理想の死の姿は、とても静かなものだ。

以前、何かの小説で読んだと記憶している。

ある女性が近所の人や友人を招いて小さな宴を開く。みんなで食べ、話し、楽しい時間を過ごす。

そして翌朝、彼女は眠ったまま死んでいる。

そんな死がいい。

大げさな最期はいらない。

死を何かの作品にする必要もない。

昨日まで普通に食べ、歩き、人と話し、自分で暮らしていた。

そして、ある日、その日常が静かに終わる。

私が望んでいるのは、たぶんそういう死である。

旅をしながら三島由紀夫の死について考えた。

そしてシドニーで、いつの間にか考えていたのは三島の死ではなく、自分自身の死だった。

三島の死が答えを与えてくれたわけではない。

ただ、自分に問いを向けるきっかけになった。

私は、どこまで生きたいのか。

今のところ、その答えはこうである。

自分で自分の日常を生きられるところまで。