シドニーのオペラハウスを実際に見たとき、最初に思った。
この屋根、こんなに必要なのか?
プラグマティックに考えたら、とてもこんなものは造れない。
完成まで4年の予定が、実際には14年。
予算も当初の想定から大幅に膨らんだ。建築家ヨーン・ウツソンは途中で辞任した。
「予算超過、工期大幅遅延、建築家は途中辞任」。
1973年の完成時点でこれだけを採点すれば、かなりの失敗だったと言ってもいい。
しかし、完成から半世紀以上たった2026年、シドニー湾に立ってあの建物を見ると、評価は逆転する。
世界中から人があの屋根を見るためにやって来る。
都市の象徴となり、観光資源となり、「Sydney」と書かなくても、あの屋根だけで場所が分かる。
シドニーどころか、オーストラリアの象徴の一つになった。
つまり、
「結果がすべて」だとしても、問題は《いつ結果を測るのか》。
ということになる。
純粋に実用面だけを考えれば、あんな巨大で複雑な屋根にする合理的な理由は、たぶんほとんどない。
もっと安く、もっと早く、もっと維持しやすく、同じ人数を収容できる劇場は造れたはずだ。
しかしウツソンは、「効率よく劇場を造る」というところから飛び出した。
シドニー湾に、それまで存在しなかった風景をつくった。
短期のプラグマティズムなら、
あんな屋根はいらない。
長期のプラグマティズムなら、
あの屋根こそ必要だった。
私はプラグマティストだと思っている。
目的についてはプラグマティックに考える。
しかし、そこへ至る方法を考えるときには、プラグマティズムをいったん横に置いてみる。
創造には、一時的に「そんなもの、何の役に立つ?」という問いを無視する余白が必要なのかもしれない。
プラグマティズムを「無駄をなくす」「効率を優先する」と狭く捉えれば、創造性とは相性が悪い。
しかし本来のプラグマティズムは、結果として何を生み出したのか、経験の中でどんな価値を持ったのかを問う思想でもある。
そう考えると、シドニー・オペラハウスは実に面白い。
合理性をいったん横に置いたから生まれた、長期的な合理性。
よくこんなものを造ったな。
そして、
よく途中でやめなかったな。
何が正しいかなんて、その時には分からない。
だから、この世はおもしろい。
生きているうちは、それを楽しまないとな。
そして東京の国立競技場を思う。
今のところ、国立競技場は東京の象徴にはなっていない。
しかし、だからといって失敗とも言い切れない。
何しろ、まだ結果を測るには早いのだから。
