「困窮者たち」の問題は、「閾値」という概念を使うとかなり整理できる。
社会制度には閾値が必要である。
所得、障害認定、介護度、学力、就労能力、各種申請の要件……。「ここから支援対象」とどこかで線を引かなければ、行政も制度も運用できない。
だから、閾値そのものを悪者にすることはできない。
むしろ閾値には大きなメリットがある。恣意的な判断を減らし、公平性や予測可能性を高めることができる。
「担当者の判断によって支援する、しないが変わる」より、明確な基準がある方がいい。
ところが、閾値を設ければ、必ずそのすぐ外側にいる人が生まれる。
支援を受けるほどではないと判定される。しかし、社会が想定する「普通」に十分対応できるほどの能力や資源もない。
これは所得だけの問題ではない。
文章を理解する力、情報を処理する力、申請手続きをする力、デジタル機器を操作する力、計画する力、人とコミュニケーションをとる力。
さまざまなところで同じことが起こる。
つまり、
閾値が人を困窮させるのではない。
人間の能力や生活状態は本来連続している。しかし制度は、それをどこかで二分せざるを得ない。
その結果、閾値のすぐ外側で困っている人たちが生まれる。
ここは重要な違いだと思う。
だから、私が考えているのは「閾値をなくせ」ということではない。
閾値は必要である。
しかし、その外側にも困っている人がいる。
制度的な救済が難しいとしても、まずその存在を社会が認知し、理解する必要がある。
前回、「救う方法を考える前に、見えていなかった人たちがいることに気づく。それが出発点だ」と書いた。
閾値の向こう側にも、人はいる。
まず、そのことを忘れない。
