面接授業「現代社会の変化と民法改正」で学んだこと

 誰に人生を託すのか――任意後見を考える

放送大学埼玉学習センターの面接授業「現代社会の変化と民法改正」では、120年以上大きく改正されなかった民法が、超高齢社会やデジタル・IT化などの社会変化を受け、近年さまざまに改正されていることを学んだ。

その中でも、私が最も印象に残ったのは成年後見制度、とくに任意後見制度である。

当初は成年後見制度そのものに関心があった。しかし考えていくうちに、自分にとっての根本的な問題は制度ではなく、誰に頼むかであることに気づいた。

死亡後の財産については、遺言書によって自分の意思を残すことができる。

しかし、

「生きているけれど、自分で判断できなくなったらどうするのか」

これは、あり得ないことではない。むしろ、こちらのほうこそ元気なうちに考えておくべきことなのだと思った。

私はこれまで、自分にできること、すなわち遺言書の作成や財産の整理、エンディングノートの準備などを進めてきた。しかし、任意後見契約について具体的には考えてこなかった。そして、それ以上に重要なのは、誰に任意後見を依頼するかだと感じた。

任意後見契約は、自分の判断能力が低下したときに支援を任せられる、信頼できる相手がいて初めて成り立つ。制度はあくまで法的な仕組みであり、それを実際に機能させるのは、人との信頼関係である。

しかも、人との信頼関係は、一方的に私がその人を信頼するだけでは成り立たない。私自身も信頼され、相互に信頼できる関係であることが必要だと思う。

任意後見契約は簡単に結べるものではない。相手にも大きな責任が伴うため、十分な信頼関係がなければ引き受けてもらうことは難しいだろう。自分が依頼される側になったことを想像すれば、その責任の重さがわかる。

法定後見という選択肢もある。しかし、それは私の今の第一選択ではない。

私はまず、任意後見の準備をしたい。そして、任せられる人との信頼関係を築くことを優先したい。

任意後見契約を結べるような信頼関係を築くこと。

それが人生終盤の私のテーマ、換言すれば、当面の「私の終活」なのだと気づいた。

この講義を通じて、成年後見制度、とりわけ任意後見制度は、単なる法律制度ではなく、人との信頼関係を前提として初めて機能する仕組みなのだと実感した。

そして、

「最後、誰に人生を託せるのか」

この問いを考える契機となったことが、私にとって最も印象に残った学びである。