最後、誰に頼むのか?①家族の個人化

明治以来続いた家制度は、第二次世界大戦後の民法改正によって、より民主的な家族制度へと改められた。

その後、1980年代以降、目黒依子氏、落合恵美子氏、山田昌弘氏などによって「家族の個人化」が論じられるようになり、「家族」はさらに多様で複雑なものとなった。

かつては、戸主を中心に、長男とその配偶者が家を継ぐという、比較的わかりやすい家族の姿があった。

しかし、核家族化が進み、さらに個人化が進むにつれて、親子や夫婦といった関係も、ただ家族だからというだけで維持されるものではなくなってきた。

こうした家族の変化を社会全体の視点、つまりマクロから論じることは、私の役目ではない。

私は、もっとミクロ的、個人的な視点から考えてみたい。

「誰に自分の成年後見を託すのか。死後の事務を託すのか」

家族の個人化が進んだ現代でも、多くの人は身内にその役割を安心して任せられるのだろう。

しかし一方で、家族以外にそれを求めざるを得ない人も増えているのではないだろうか。

離婚、未婚化、晩婚化、子どもとの別居、配偶者との死別。

状況も理由もさまざまである。

家族の個人化とは、家族から自由になることだけではないのだろう。

家族という単位に縛られず、自分の人生を自分で選べるようになる。

しかし、その自由にはトレードオフもあるのではないか。

かつて家族が担っていた役割を、誰が担うのか。

一人暮らしで身寄りのない人は、どうすればいいのか。

身寄りがあっても、家族と疎遠で頼ることのできない人は、どうすればいいのか。

誰に自分を託すのか。

家族の個人化が進んだ先には、そんな問題もあるのだと思う。