同居人がいるだけで、成年後見、財産管理、医療上の意思決定、相続、死後事務などの法的な問題がすべて解決するわけではない。
それぞれについて、契約や意思表示が必要になる場合もある。
しかし、日常生活という点では、同居人がいることは大きい。
体調がおかしければ気づいてもらえる。倒れれば発見してもらえる。入院すれば必要な連絡をしてもらえる。認知機能が低下してきたときにも、変化に気づいてもらえる可能性が高い。
そして何より、自分の考えや希望を日常的に知っている人がそばにいる。
家族である必要はない。
配偶者でも、子どもでも、親族でも、友人でも、法律上の家族ではないパートナーでもいい。
重要なのは「家族であること」ではなく、「信頼に値する人であること」なのではないか。
もちろん、これが簡単なら苦労はしない。
そういう人を見つけること自体が難しい。その人と一緒に暮らせるかとなれば、さらに難しい。
私自身、一人暮らしが苦にならない。むしろ、一人で暮らす自由を好んでいる。同居したいわけではない。
しかし、これから身体や判断能力が衰えていく可能性を考えれば、一人暮らしに最後まで固執することが、本当に自由なのかとも思うようになった。
そこで考えたのが、「共居」(コリビング)である。
共居とは、家族になることでも、誰かに依存することでもない。
それぞれが自立した生活を持ちながら、同じ場所、あるいは互いの異変に気づける距離で暮らす。
一緒に食事をする必要もない。いつも話をする必要もない。それぞれが自分の時間を過ごせばいい。
ただ、何日も姿を見なければ気にする。倒れていれば救急車を呼ぶ。困っているときには、できる範囲で助ける。単なるハウスシェアリングより一歩踏み込んだコリビング。
同居より少し緩くやかで、二人だけとも限らない。高齢者同士のコリビングのような形もあるかもしれない。
一人でいる自由をできるだけ残しながら、完全には孤立しない。
孤独は守る。孤立は避ける。
そのための選択肢として、「共居」という暮らし方も考え始めている。
